勉強しない人とはどんな人か。
勉強しない人は、見た目や単純な楽しさだけで判断します。
その判断に、客観的な理由はありません。
このような人は、何を「おもしろい」と感じるのでしょうか。
・ゲーム
・買い物
・ギャンブル
・酒
・性
単純な楽しさの厄介なところは、本能を刺激することです。
本能は慣れてしまうため、次第により強い刺激を求めるようになります。
本能は理性(考えること)では止められないため、無限に強い刺激を求め続けます。
また、強い刺激を得るには多くのお金が必要です。
しかし、勉強をしていなければ、お金の稼ぎ方や社会のルール、仕組みもわかりません。
どんな結末が待ち受けるでしょうか。
勉強する人はどう違うのか
勉強をする人は、日常の中におもしろさを見つけられます。
例えば、ヒマワリの花弁やがく、おしべ、めしべがどこにあるか知っていますか。
私は、ヒマワリは一つの花だと思っていました。花びらのように見えるのが一つ一つの花です。また、おしべのように見えるのが、別の種類の一つ一つの花です。ヒマワリは、2種類の花が無数に集まって一つの花のように見えています。

私は初めて知った時、そのおもしろさに驚きました。そこから次々と疑問がわいてきたのです。
・ヒマワリは他にどんな特徴があるのか。
・ヒマワリのような花は他にないのか。
・どのように調べたら良いのか。
・どこで見つけられるのか。
・ヒマワリとの違いは何か。
ヒマワリを見た目で知っているだけの人は、道に咲くヒマワリを見ても気にも留めないかもしれません。単純な楽しさに慣れてしまった人は、ヒマワリの仕組みを知ってもおもしろいとは思わないでしょう。
しかし、勉強する人は、こうした疑問が次々に生まれ、日常の中におもしろさを見つけられます。しかも、これらはすべて無料で楽しめます。だから、勉強するのです。
学びが生み出す社会での価値
このように疑問を持ち、調べて、見つけ、違いを見い出す。この行動は、社会の中で価値を生み出す行動そのものです。違いを見つけ、課題を解決する力を発揮した成果として、お金を得ることができます。
筑波塾は、「生涯学びを楽しみ、その成果を生かす」を方針としています。

